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「音ゲーもアーケードゲームだった」というお話 | ||
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私は音ゲーはやりません。本文中にも登場する“上級者のプレーを見て引いた”1人です(笑)。
出典がどこか失念した(うっすらと新聞で読んだ記憶がある)のですが、何でも順風満帆かと思われてきた音ゲーに異変というか岐路が訪れているそうです。世に音ゲーが始めて登場したのがいつか、まあ調べようと思えばできるのですが今回は止めます(ぉ。それでその歴史の中からは、過去に何人ものスーパー・プレイヤー達が登場しているようです。またそこまでは行かなくても、ビートマニアなりDDRなりでギャラリーをあっと言わせるような凄いプレイヤーは、大都市だけでなく地方都市にもゴロゴロしているようです。あ、いや、もちろん太鼓の達人にもいるとは思いますが(笑)。
ところが今「その“上級者”が音ゲーの世界の沈滞化を招いている。」というのです。音ゲー上級者のプレーはそれこそ見ていてもの凄い物があります。そういう上級者がプレーした直後に、その同じ筐体で初心者がいきなりプレーできるかというと、多分無理だろうと思います。何しろ筐体の周囲にはさっきの上級者が引きつけたギャラリーがウヨウヨしていて、次のプレイヤーが来た事で「今度はどんなもの凄いプレーを見せてくれるんだろう?」という期待感に溢れています。そんな中で例えば初心者の練習モードとか、中級者レベルの曲の練習なんてはっきり言ってできないのです。
特にゲーセンでの主役となっているビートマニアやDDRを後から始めた後発組は、要するにもの凄いスピードで今いる上級者に追い付かないと安心してゲームが遊べないのです。でも実際には自分とそういう上級者との間の差は天文学的数字になりそうな印象すらある。するとどうなるか、初心者の多くが「僕もう止める(あるいは最初からやらない)。」になってしまうのです。要するに「上級者のプレーを見て初心者が引いてしまう。」という事です。あとここに“回しプレー”といった話が絡んでくると、事情は更にややこしくなります。実際にこの問題は現在、ゲームセンターの多くのオペレーターに取って大きな悩みの種になっているようです。あ、ちなみに“回しプレー”の意味が分からないという人はいませんよね?。もしいたら言って下さい、掲示板辺りで解説しますので。 (^^;
でも、この手の話ってどこかで聞いた事無いですか?(笑)。今更書くまでもないですが、この状況は例えば対戦格闘ゲームもトレーディング・カードゲームも同じように経験しています。そして残念な事に両者とも打開策を見つけられないまま今に至っているのです。しかも私に言わせると、格ゲーもTCGも結果的には「もう我々は初心者(ニューカマー)になぞ目もくれず、今いる中・上級者達だけで突っ走るぜ!」とやって、そして案の定息切れして倒れた訳です(爆)。プレイヤーというのは遊びの世界に取っては燃料みたいな物です。間違いなくある一定量は消費し続けて前に進んでいますし、実はその消費量が多い程前に進む勢いが付くのです。ですから初心者を取り込む工夫を止めた遊びというのは、言ってしまうと外部からの補給を放棄した内燃機関式の乗り物みたいな物です。やがては燃料か酸素、あるいはオイル等が足りなくなって止まるのは目に見えているのですがねえ。
ただそうやって過去に頓挫した遊びが幾つもあるのに、実際にはその経験が次の遊びに生かされない。要はその位この“初心者と上級者の関係”とは難しい問題なのです。じゃあこの問題に対していかなる遊びも打開策を見出せていないのかというと、実際には幾つかの成功例が存在します。
まずミニ四駆です。ミニ四駆は遊び始めた瞬間から「タミヤが開く全国大会に出られるのは小学生のみです。」という認識をほとんどすべてのミニ四駆レーサーが持つ事になります。つまりその個人の技量がどれだけ進歩しようとも、小学校を卒業した瞬間にミニ四駆の世界ではOB/OGになってしまうのです。それでも続けたければ近所のおもちゃ屋等に通って続ければいいし、もし大会を開きたいと思ったら自分で何とかしなさい(おもちゃ屋を動かすか自分で開け)。これは特に子供に取っては非常に分かりやすいシステムになっているのです。(ただし「じゃあユーザーに取って親切か不親切か?」というのは、これはまた別の問題になるでしょう。 (^^; )
次に囲碁/将棋です。囲碁や将棋は他の遊びには無い絶対的な知名度の高さがありますし、何よりも“文化”として日本国内で受け入れられています。すると常に(ある程度の働きかけをすれば)一定数のニューカマーの供給が期待できるのです。こうなると例えば初心者が自分の腕を磨くために誰かと対戦しようと思った時、無理に自分よりも格段に強い上級者と対戦する必要がないのです。昔ですと小学校や中学校の囲碁/将棋クラブに入部すれば、大抵自分と同程度のレベルの人間がいたものです。そういう人達と対戦してお互いの腕を磨く。それで不満を感じたら、更に上のレベルの人達と対戦したり有段者の著書等で勉強する。こうすれば囲碁や将棋という遊びは自然に続けられるのです。
あと多くの遊びが行っているのは、簡単に言うと「上手くなる事に何らの報償も与えない。」というやり方です。言い換えると「君がこの遊びを極めるのは勝手だけど、どんなに頑張って上手くなってもそれは君自身の自己満足にしかならないよ。」という事です。一見するとユーザーサポートをサボっている手抜きの売り方のようにも見えますが、これは案外有効だと私なんかは思っています。(ただその場合サービスやサポートをしない分、広告宣伝をしたりその商品自身の価格を下げる事で普及を促す訳です。)例えばベーゴマなんて遊びに全国大会があったとか、その優勝賞金で100万円出たなんて話は聞いた事がないです。 (^^; でもじゃあそれでベーゴマで友達と対戦しても面白くないのか・・・全然そんな事はありません。もしベーゴマという遊びがそれだけの魅力を持った物でなかったとしたら、今この時期になってベイブレードなんて形でリメイクされてヒットする訳がないのです。
つまり私に言わせると、あの遊びとかその遊びは“やっちゃいけない最悪の対応”をやった、だからこけたのです(笑)。あるゲームを競技化して誰彼構わずプレイヤーをその中に突っ込む。あるいはプレイヤー全体を勝利至上主義で煽って無理矢理ゲームに金をつぎ込ませる。これでは初心者と上級者との敷居を取っ払ってしまう(見方を変えると初心者が上級者のカモにされる)結果を生み、初心者がそのゲームから引いてしまう環境を生むのです。それに対して上に書いた成功例に共通しているのは、言ってしまうと“初心者の安定供給と上級者との隔離”そして場合によっては“上級者の進歩を頭打ちさせる工夫”を目指した施策を取っているという事です。どれだけもの凄い上級者がその世界にいても、それが初心者に取って邪魔にはなっていない。だから初心者は安心してその遊びに入り込めるのです。あと何よりも、そういう上級者が我が物顔で暴れ回っている世界は窮屈極まりないです。しかも中途半端な知名度しかない輩が“○○界の有名人”気取りで・・・あ、ここではこの話は止めましょう(ぉ。
さて、じゃあ具体的に音ゲーは今後どういう工夫をするべきなのか。という話を書く段になると、私の筆というかキーボードを叩く指はパッタリと止まってしまう訳です(爆)。これは格ゲーの事例との比較で結構簡単に結論を見出す事ができます。格ゲーの世界でも“初心者と上級者の隔離”の必要性を訴える意見は少なからず出ていました。でも実際にそれが実現したゲーセンが存在したという話を、少なくとも私は聞いた事がありません。しかも逆の事例は山のように伺っています。“初心者練習用”と貼り紙がされた筐体で練習しようと思ってコインを入れたら、ピラニアのごとく上級者があっと言う間に食いつき、ほとんど何もさせてもらえずにゲームは終了。とにかく聞くのはそんな話ばかりです。
“初心者”“上級者”という言葉に明確な定義が無い。そして“練習用”という貼り紙がプレイヤーのマナーやモラルのみに依存した仕組みにしかなっていない。要するに元々今の日本でこんな物が上手く機能する訳がなかったのです。そしてこれはそのまま音ゲーの世界にも言えるでしょう。例えばあるゲーセンに“初心者専用練習台”を置いて仕切りで周囲から隔離までした。まあ間違いなく常連に占拠されて終わりなのです。「おっ、ここなら音が良く聞こえてあっちの台より遊びやすいぞ!」ってなもんですよ。 (^^; しかもそういう状況になって、それで常連グループに文句が言える気骨のあるオペレーターって、今のゲーセンにはいないんじゃないでしょうか。
しかも音ゲーの場合、これに「筐体が高額である。」という問題が追い打ちをかけます。昔のNEO・GEOなんかですと、ゲームROM+筐体で新作でも30万円程度かな。まあそれでもその台を“初心者用”とか言ってインカムを減らすのはかなりの決断が必要だったはずです。それが今や音ゲーの筐体1台って・・・確か200万とか300万なんて世界の話だった気がします。 (^^; 万が一“初心者専用”という仕組みが上手く機能したとしても、じゃあそれでこの筐体の元が取れるのって一体何世紀後の話になるのでしょうか?(爆)。
ゲーセン側に取って上級者は言うなればお得意さんです。でもお得意さんが集まれば集まるほど新規の顧客が来なくなる。実はこのジレンマはそれこそ格ゲー全盛の頃からアーケードゲームの世界には存在していた問題なのです。でもやっぱり誰も打開策を見出せていない。いや、正確に言うと「見出そうとすらしてこなかった。」という事になるでしょうか。でも私に言わせると、これって少なくとも「それこそ胃に穴を開けて頭にハゲができる位 (^^; 悩み抜いても良いアイディアが思い付かなかった。」という訳じゃなさそうです。
私がこういう話を書くと、間違いなく「そういうお前は自分で音ゲーを遊んでいる訳じゃないんだろう。だったら余計な口を出すな。」とか言われそうな気がします。私は別に今回、この問題について自分なりの提案なんかをするつもりは毛頭ありません。ただ格ゲーやTCGで書いてきた話と同じで「なんかこれだけ大きな問題が起きているのに、それに対するプレイヤーの問題意識とか危機感が希薄なのでは?」と言っているだけです。まあ「放っておけばいいのに。」と言われるとそれまでなのですが (^^;;; ただ1つあるのは、例えばこれで音ゲーがこの問題に何らかの打開策を見出してくれたとすると、それは間違いなく他の遊びにも応用できる訳です。ただ私に言わせると、音ゲーは間違いなく「流行っているから。」で遊ばれている部分が少なからずあります。つまり音ゲーという遊びが一旦失速し始めると、途端に音ゲーを遊ぶ目的や理由を失うゲーマーが少なからず現れる危惧があるのです。そういう状況でプレイヤー側から前向きな提案が出るとは、今までの経験から私にはちょっと思えません。そしてそれで音ゲーが・・・となったとしたら、まあ“その程度の物だった”という事になるのでしょう。
こういった遊びで衰退とか沈滞化に対する対策が誰からもなされない。そういう場合我々(=その遊びに関わるゲーマーや関係者)にできるのは「自分に取っての被害を最小限度に食い止める。」という事になるでしょう。少なくとも音ゲーは今すぐ消えて無くなるような差し迫った状況ではないはずですので、今のうちに自分に取って遊びやすいゲーセンを探すとか、ゲーセンで顔を合わせる仲間とちょっとしたグループを作って盛り上げるとか、やれる事はいくらでもありそうです。ただし「それで満足して良いの?」という話はありそうですが。
昔格ゲーがゲーセンで猛威を振るっていた頃、多くのゲーマー達は「こういう状況はひょっとすると永遠に続くかも。」という気分になっていました。しかし実際にはそんな事は無かった訳です。今日本では不動の地位を築いたと思われていたプロ野球にすら人気低迷の陰が忍び寄っています。いかなる遊びも安穏としてはいられない。ある意味住み難い時代になった、と言えるかも知れませんね。 (^^;
かつてアーケードゲームと家庭用ゲームとの連携を目指し、1つの成功を収めたゲーム機がありました。NEO・GEOです。 確かにNEO・GEOはその普及台数だけを見ると他のTVゲーム機に遠く及ばないでしょう。でも当時一台6万円以上もしたゲーム機が探し回らないと在庫を見つけられない位売れていた。そういう歴史は実在するのです。特にNEO・GEOの全盛期であった侍魂や餓狼SPの頃などは、それこそ一本2万円オーバーのゲームROMがちょっとしたファミコンのゲーム並に売れたのです。 NEO・GEOのゲームはあくまでアーケード用が先に発売されていました。その後2~3ヶ月程度置いて家庭用ROMが発売されるのですが、まあ当時ですと我々NEO・GEOゲーマーは家庭用ROM発売までにその値段と同じ位のお金を既にゲーセンに落としていたりしました。 (^^; しかもじゃあ家庭用ROMを買ったからといってゲーセンに行かなくなるかというと、これがむしろ逆で「よっしゃ、腕試しに対戦してくるか!」になっていたのです。しかもNEO・GEOの家庭用ゲームはアーケード用の物がそっくりそのまま発売されます。当時はアーケード用と家庭用ROMの発売時期等が色々と論議の対象になっていましたが、でも私に言わせると「少なくとも全盛期のNEO・GEOの売り方はかなりベストに近い物だった。」という感じです。 現在もアーケードゲームの多くが家庭用ゲーム機に移植されます。ただその多くがブームが終わった後になって発売されたり、アーケード用と比べた時の差違が少なくないのです。家庭用ゲームを買って練習して「さあ本番!」と思ったら、オリジナルのアーケード用はとうの昔にゲーセンでの寿命を終えていた(笑)。あと家庭用で練習してアーケード用を遊んでみたら、細かい部分の違いが積み重なってストレスが溜まる。そういう物が多いのです。これじゃあ「何のための家庭用ゲームか?」という気がします。要するに今のアーケードゲームの移植って、1度作ったプログラムでゲームメーカーが2匹目あるいは3匹目のドジョウを狙った物にしかなっていないのです。まあ「アーケード用でバグ出しをして家庭用ゲームを作る。(=ゲーマーをデバッガ代わりに利用して金まで取りやがる。)」なんてのは流石に論外ですが(嫌爆)。 例えばの話、音ゲーがアーケード用に先行して家庭用が発売されたとしたらどうでしょう。ゲーマーはまず家庭用を買って練習を重ね、アーケード・デビューの日を迎えるのです。こうすれば多くのゲーマーが同じ土俵で勝負できます。家庭用を先に発売するとアーケードでのインカムが落ちるという常識が業界にはありそうなのですが、でもNEO・GEOの事例を思い起こしてみても、インカムが早期に落ちるかどうかは“ゲームの出来そのものの問題”の方が遥かに大きいと思います。きっちり良いゲームを作ってより多くの人達に気軽に遊んでもらう。そういう方向性をゲーム業界が模索しない限り、今回取り上げた問題が解決される事は到底期待できない気がします。 |