ゲームの事を考えるお話 
 
 インターネット上の話題を拾っていたところ、興味深い記事に行き着きました。

 2002年3月19日〜23日(現地時間)にかけて、カリフォルニア州サンノゼで“ゲーム開発者会議(GDC)”が開催されたそうです。その目的は“より楽しくて多少は社会的責任を果たすようなゲームを開発するため”との事で、ゲームという物が持つ問題点や将来像が真剣に語られたようです。

 しかもこの会議では、日本では到底語られる機会が無さそうというか、語る事自体を暗黙のうちにタブーとしてきたような話題も取り上げられたようです。その1つが“中毒性の高いゲームを作ることの是非”です。ゲーマーが学校や会社を休んでまで延々とゲームを遊んでいる。そういう状況を良しとするか否か、あるいはそういう遊び方を助長するゲームを作って良いのか悪いのか。こんな話題が日本国内で語られた所を少なくとも私個人は見た事がありません。そして今回の会議で出た一応の結論は「それは好ましくないであろう。」だそうです。参考にした記事の日本語訳を引用すると「プレイヤーはゲームの最後までたどり着きたい一心でプレイしつづけるだろうが、ゲームが終わるころには、それほど楽しさを感じていないかもしれない。これは、楽しさの上に成り立つビジネスにとっては好ましくない。」という事だそうです。ただ私個人はゲームが中毒性を持つ事にはある程度肯定的だったりします。それは“ついついクリエイターのやる気が出過ぎて中毒性の高いゲームを作っちゃう”米国と“クリエイターが金儲けしか頭になくて中毒性のあるゲームが作れなくなっている”日本との事情の違いなんじゃないでしょうか(嫌爆)。その他“暴力的表現”“人種問題”“ゲームの独創性”等など、現在ゲームという世界に存在する多岐に渡る問題点が話し合われたようです。ただしそれで結論や提案が出なかった物も決して少なくはなかったようですが。

 あとここで大きな話題として取り上げられたのが“ネットゲームの今後”という話題だそうです。この議論の内容(ただし日本語で出された要約記事ですが)を読む限り、今の日本のゲームメーカーがネットゲームで成功する事はあり得ない気がします。ネットゲームを成功させるには幾つかの要素が必要だという意見が出ています。それは“膨大な費用と時間を必要とする準備期間”“ユーザーに対する早い段階からの普及活動”そして“継続的なサービス”等です。いかにそのゲームへの注目度を高めてベータ版テストを有意義な物にするか。まずこれがネットゲームの成否に大きく左右します。そしてようやく製品版を買ってもらった。でもそれは終わりではなく、実はこれこそが始まりに過ぎないのです。会議の中で出た意見を引用すると「プレイヤーに時間と感情を移入し続けて大丈夫という安心感を与えなければならない。」という事です。で、以上の内容を良く吟味してみると、こんな厳しい条件を“第10作目の新作が出た途端に『次回作のパート11にこうご期待!』とか言い出すいい加減なソフトハウス”に実行できる訳がないのです(爆)。というか、私個人は「現状で日本国内にこれを実行できるソフトハウスって無いんじゃないか?」という気すらします。

 一連の記事を読むと、改めて“日本人のゲームに対する取り組みがいかに甘いか”を痛感します。日本は取りあえずTVゲーム大国のようですが、それは言っちゃうと日本国内で“暴力”とか“エロ”が野放しだからではないか。そんな気もします。その国に無い刺激だから皆欲しがる。言い換えるとそのゲームのクオリティなんて物は見ちゃいなくて、要するに「人が殺せるから。」「XXXが見られるから。」で買われている。その程度の物なのではないでしょうか。でも今は少なくとも家庭用ゲーム機ではエロがタブーになっていますし、暴力的表現も制限されてきています。だから日本国内でも外国でも日本のゲームが売れなくなったと私なんかは感じているのですが、果たしていかがな物でしょうか。

 ちなみにその会議の中で、最近のゲームが持つストーリー性に対して批判が出たそうです。その内容を引用すると「今日のゲームの大半は他愛のない童話仕立てだ。基本的にストーリーは、アクションを連続的に展開するための理由付けにすぎない。」という事だそうです。これに関しては“あれ”とか“あれ”がモロ思い当たりますなあ。 (^^;;; しかもそうやってストーリーを用意しているゲームに限って、そのストーリーがゲーム内容とは完全に浮いている物が少なくないですし(爆)。

 日本のゲーム業界も、この位真剣にゲームの事を考えてはくれませんかねえ。

あいせんの“本音の部分”

 こういう記事を読んで改めて思うのですが、やはりこの手の意見交換というのは当事者同士が顔突き合わせて、しかも実際に今現在その世界を動かしている人達を巻き込んだ形で行わないと駄目な気がします。匿名で烏合の衆がワイワイガヤガヤと何十時間やったところで、実際世の中何も変わりはしないでしょう。

 最近聞いた話なのですが、DCのゲーム“サクラ大戦4”の評判があまり宜しくないのだそうです。それでサクラ大戦4公式サイトの掲示板に批判意見が集まって、これに対してプロデューサーである某氏が返信を書いたようです。ただはっきり言ってしまいますが、こういう場で言われる「皆様の意見は今後に活かしていきます。」というのは「今回の事は無しにして、次回も俺様の好きな様にやらせてもらうぜ。」と多分同意語です(爆)。これはそういう発言を掲示板に書いた経験があれば多分分かります。 (^^; というか、これって身に覚えのある方も大勢いるでしょう?。ある板に批判を書いたらその内容を他の人に突っ込まれ、しかもその反論はぐうの音も出ない位理に適っていた。そこでどうするかというと、それまでの事は無かった事にして(適当にほとぼりを冷まして)「それはそれとして、こっちのこの意見こそ俺はどうかと思う。」とか始める(笑)。人間なんてそんな物ですって。だから議論がかみ合わない。当たり前です、最初からかみ合わせようなんて思っちゃいないのですから。

 人間の思想とは“天の岩戸”のような物です。無理にこじ開けよう(=変えさせよう)とすると、中にいる巫女はますますその扉を固く閉ざしてしまいます。ではどうすればいいかというと、要するに「いかにもうまそうなご馳走(提案や意見)を岩戸の前に置いて立ち去る。」のです。すると中の巫女は周囲に誰もいない事を確かめて中から手を伸ばし、そのご馳走を口にするでしょう。そして「これは本当においしい(=今後に活かすべきだ)。」と思ってくれればしめた物で、そこで始めて“自分の意見が通った(反映された)”という結果が生まれるのです。ただ当然ですがその場合、そこに置いたご馳走が本当においしくなければ話になりません。でも実際にインターネット上で頻繁に行われている意見交換の様子は、私に言わせると「自分が出した汚物を他人の口に無理矢理ねじ込んで『これはうまい!』と言わせようとしている。」のと変わりありません。 (^^;;; それで何か建設的な変化や前進が期待できるでしょうか?。まあ無理でしょうね。

 日本のゲーム業界にクリエイターとゲーマーが腹を割って話し合うなんて機会が無い以上、我々は何らかの形で地道に自分の意見を出し続け、それが然るべき方々の目に留まる事を期待するしかないのです。ただ世の中には自分が書いた意見を「読ませた」だけで得意満面に喜ぶ人もいるのですが、実際問題として「読むだけ読んで無視する。」なんて事は簡単にできるのです。その意見の中に1つでもいいから「あ、これは気が付かなかった。」とか「こういう見方もあるんだなあ。」と思わせる内容を盛り込む。そして特に自分が読んで欲しい相手に対して耳障りのいい内容になるよう工夫する。確かに実行するのは大変ですが、でもそういうアプローチをしないと自分の意見なんてそうそう通る物ではないのです。

 ・・・え!?、こういう内容の話を私が書くのは変ですか?(爆)。

   

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