| “対戦”を考える | ||
“対戦”とは「相対して戦う(試合をする)こと。」だそうです。
昔から子供の遊びの中にも“対戦”の面白さを売りにした物は数多くありました。そして現在でもその傾向は変わっていませんし、むしろ数的には増えているのではないかと思える位です。これはあくまで私個人の主観なのですが、やはり対戦をするゲームは全体として面白い物が多いと思います。人間というのは極めて気まぐれだし身勝手な生き物です。物事に関して同じパターンを繰り返すかと思えば、ある時突然突拍子もない行動に出る。そういう意外性の固まりみたいな物です。人との対戦がなぜ面白いかというと、1つにはこの意外性があるのです。また人間は経験から学ぶ生き物です。ですから自分が1度勝ったり負けたりした対戦は経験として蓄積され、その後の対戦に活かされるのです。「俺は1度受けた攻撃は2度を食らわない。」というとまるでどこかの聖闘士みたいですが (^^; とにかくそういう経験を積む事で人間は簡単には負けなくなります。だから対戦はより面白くなるのです。相手が何をしてくるか分からない。1度勝てた相手でも2度目の対戦では勝てるとは限らない。だから何度でも対戦しようという気になる訳です。
それと対戦にはほぼ間違いなく“会話”があります。一部のプロ競技では試合中の会話が厳しく禁じられているケースもありますが、それでも例えば囲碁・将棋の反省戦のように対戦相手との会話の時間が十分確保されている物もあります。そういうやり取りが対戦の面白さを演出してくれる事が少なくありません。会話は決して対戦ゲームの主役ではありません。(中には会話により対戦をする物もありますが。 (^^; )でも場合によっては主役を食ってしまいかねない位の魅力というか魔力を持っています。
対戦という行為が単に“勝った/負けたのフラグを立てる行為”だとすれば、ほぼ間違いなくジャンケンは史上最も面白い対戦ゲームになると思います。だってこれなら勝敗は一瞬で決まるし、これ程ルールが簡単な対戦は他に無いからです。でも我々は普通ジャンケンを対戦とは呼ばないはずです。それはジャンケンが“試合”ではないからです。“試合”とは「スポーツ・武芸・技芸などの腕前を比べ競うこと。」という意味があるそうです。普通ジャンケンに腕前なんて必要ないですから。 (^^; 中には空中にある相手の手をもの凄い動体視力で読み取り、それに勝てる手をもの凄い瞬発力と反射神経で(しかも相手よりも先に)出すという方もいるかも知れませんが、そんなもの凄いスキルはジャンケン以外のより有意義な方向に活用すべきかと思いますが(爆)。
さて、それでは最近ゲームの世界で行われている“対戦”はどんな感じなのでしょうか?。前の章で書いた通り、対戦とは本来プレイヤー同士の腕前や技量を競う行為なのだそうです。しかし最近の対戦を売りにしているゲームって、果たしてそういう“基本的な事”ができているのでしょうか。どうも私個人は「できてないんじゃないか?」という印象を持たざるを得ないです。その理由を簡単に言うと「最近のゲームプレイヤーの多くが“自分が勝つ”事に執着し過ぎていて、それ故ゲームを作業化してしまっている。そしてゲーム自身もそういう作業プレーを推奨しているから。」という事です。
例えばミニ四駆では、レースに勝ちたければ自分が作ったマシンをいかに速くするかが大事になります。でも製作テクニックみたいな情報は色々な所から出ていますし、メーカー自身も出版物等で紹介しています。ですからそういう公開情報だけを真似していても、結局は他のミニ四駆レーサーとの差別化はできません。そうなるとレーサーは他のレーサーから自分が一歩抜きん出るために、例えば“乾電池のコンディション”なんて普通なら全く意識しない部分にまで気を使い始めます。私自身もレースの1時間前から乾電池を懐に入れて暖めていた、なんて事をやっていました(笑)。(あ、当然これは社会人大会での話です。でも私の作るミニ四駆は速さよりも「滑らかに走る。」とか「造形や塗装が綺麗。」といった形で周囲から評価を受けていましたが。)そうやって皆が一番を目指し、でも誰が一番速いかは蓋を開けてみるまで分からない。そういうドキドキ感がミニ四駆にはあったのです。
でも世の中には対戦を売りにしているくせに、そういうドキドキ感をほとんど感じる事ができないゲームが案外多いのです。あるキャラクタのある戦術を使い始めると、他のキャラクタでは全く勝てなくなってしまう格ゲー。新製品が発売されて2〜3ヶ月経つと“最強のデッキ”が決まってしまうTCG。こんなゲームの対戦が面白いとは私には到底思えないです。でもそういう情報が出ると何も疑問も持たずにその真似をし、そして勝って自分の手柄のように喜んでいる。そしてそういう取り組みに疑問を投げかけると「これのどこが悪い?。俺とまともに勝負したければ、お前も情報を集めて最強キャラか最強デッキを用意して来い。」と言われる。でもそういう輩に限って、逆に相手に同じ手を使われて自分が負けると「ハメ使いやがって!」とか「コピーデッキで勝って嬉しいか!」とか怒り出す(嫌爆)。これじゃあ対戦という物が盛り上がろうはずもないでしょう。
格ゲーとかTCGの対戦が面白くないのには、間違いなくそのゲームシステムを作ったメーカー側の責任が大きいのです。はっきり言いますが、最強のキャラがいる格ゲーとか最強のデッキが存在するTCGには、間違いなくゲームとして致命的な欠陥があるのです。そんな欠陥ゲームで勝った事が果たしてそんなに自慢できる事なのか、そういう疑問を我々ゲーマーは本来持つべきだったのです。しかし実際にはゲーマーの多くが“対戦で勝った”という喜びに麻痺してしまい、いつしかそういう疑念を持つ事を忘れてしまったのです。まあ実際にはその対戦が“対戦”として成立しているかどうかさえ怪しいのですが。 :-P だって実際問題の話、始めてそのゲームを遊んだような初心者を、雑誌やインターネットで仕入れた情報で仕立てた最強パターンでねじ伏せて、それで「俺って最強!」とか悦に入ってるバカは多いからねえ。 (^^;;;
じゃあ対戦が面白いゲームと対戦が面白くないゲームの違いって、一体どこから生まれてくると思いますか?。これ、答えは案外簡単なんですよ。ミニ四駆はレースに出る前段階として「マシンを作る。」という行為が必要になります。しかし実際に走らせてみて「これ速いぞ!」と実感できるマシンを作るのは、実はそんなに簡単ではありません。確かに書籍等の情報は参考になるのですが、でも最終的にはその情報を自分の物にして、更に自分なりのアレンジをしないと駄目なのです。例えばレース当日になって準備していたモーターが動かなくなった。そういう時にいかに短時間に&高い完成度で新品のモーターを慣らしてレースに間に合わせるか。そういうテクニックは最終的には自分で身に付けるしかないのです。
しかもミニ四駆には勝敗以外にも楽しみ方があります。というか、ミニ四駆の世界で勝敗は面白さの単なる一要素に過ぎないのです。例えば速いマシンを作るにしても、自分が過去に作ったマシンと比較して最高タイムを縮めるといった取り組み方もあります。また多くのレーサーは自分のツールボックスの中に複数台のミニ四駆を入れていて、時間があると「これ塗装に凝ったんだ。」とか「この肉抜き難しかったけどうまくできた。」といった自慢をします。1台の小さなミニ四駆に色々な取り組み方ができて、とにかく手にしていじっている時間が長い。すると自動的にそのマシンに対する愛着が深まり、それがミニ四駆という遊びそのものの面白さを更に深めてくれるのです。
・・・はい、もう多分書くまでもないと思いますが、要するに対戦が面白くないゲームにはそういう取り組みができていないのです。言い換えるとゲームが「自分が『勝った』という結果を手に入れるための単なる手段になっている。」という事です。最近格ゲーのキャラクタとかTCGのデッキに思い入れを持って遊んでいるゲーマーってどの位いるでしょうか?。そういうゲーマー達が本当の意味でそのゲームを楽しめているのであれば、多分格ゲーもTCGもこうはならなかったと思いますよ。例えば Magic の有名なトーナメントプレイヤーである中村聡氏は“リス対立”というデッキ・カテゴリーに拘っていたと思うのですが、真実はともかくそれは私に言わせるとそういう事なのです。あれは「こういう取り組み方というか楽しみ方が Magic でもできるはずだ。」という見本を自ら示したかったのではないですかね。でも多分その中村氏も今は感じているんじゃないでしょうか。「ああ、結局日本では“大会で勝てるデッキ”しか注目されないんだな。」ってね。 (^^;;;
要は「対戦に至る過程が面白くないゲームは、結局対戦そのものも面白くない。」という事です。そしてゲームの過程が面白くなければ、プレイヤーはつぎ込んだコストの元を取るために更に対戦で勝つ事に執着し始める。だからゲームを遊ぶ事が勝つための作業に変わってしまうのです。でも“勝つ”以外の要素がどんどん無くなってゲームの面白味が乏しくなると、結局は対戦自体も面白くなくなるのです。ただそうなると今後は「ゲームは過程や面白さは問題じゃない。勝てばいいんだ!」等と意味不明な主張を唱える方まで現れて (^^; しかもなぜかそれが支持されちゃう。そうやって格ゲーやTCGは自ら(=販売サイドや遊ぶ側)がその面白さを目減りさせてしまっているのです。だから面白くないのは当たり前。ほら極めて単純明快でしょう?(嫌爆)。でもはっきり言いますが、どこの世界に面白くもない遊びに金や時間をつぎ込んで遊び続ける人がいるんですか?。もしいたとしたら、そりゃバカですよ(核爆)。 (^^;
根本的な話として、対戦の後には勝者と敗者が現れます。今のようにゲームの世界が「勝敗がすべて!」なんて雰囲気になってしまうと、敗者はその対戦によって何1つ得る物が無い事になりかねません。「勝者のデッキやプレイングが見られたから良いのでは?」と言われるかも知れませんが、そんな物は“同ネタ多数”でもう何十回も見て飽きているかも知れません(笑)。「会話が楽しめただろう?」と言われるかも知れませんが、どこかの雑誌に載っていたワンパな戦術しか使わないお猿ゲーマーとか、下手に話しかけるとジャッジを呼ばれてペナルティを課そうとするプレイヤーとなんか会話はしたくないでしょう(爆)。しかし実際にはそういう経験が多くのゲーマーの中で積み重なっていて、いつかどこかで「もう我慢できん、こんなゲームやめたる!」になっているのです。本来対戦という行為は、自分がそのゲームを自分なりに突き詰めたその先にあるべき物です。そして対戦での勝利というのは、そういう“自分の自分による自分のための”精一杯の取り組みに対して与えられるご褒美の1つであるべきなのです。ゲームで勝つ事を目指して日々そのゲームに取り組む。そういうプレイヤーを否定する気は私にはありません。というか、そういう取り組みは正当に評価されるべきです。ただどうも日本人は勝敗が絡むとそれだけになってしまう。しかもそういう気質をメーカーにうまく利用されてしまっている。そういう現状を見て私なんかは「バカだなあ。」と思ってしまうのです。 (^^;;; 一体我々は何度メーカーに騙されれば気が付くのですかねえ。現に格ゲーの失敗事例がTCG辺りに全く活かされていない事がすべてを物語っていますよ。
私だって格ゲーやTCGで勝つ事を目指していない訳じゃありません。でも少なくとも私は自分がゲームで勝った時に、その事を素直に喜べるようにゲームに取り組んでいるつもりです。私だって世の情報を見ていない訳じゃありません。ただその場合は、誰かに聞かれれば「これ参考にした。」と言います。欧米で生まれてレシピが公開されたデッキをパクって試合に勝ったとしても、間違ってもそのデッキに“あいせんブルー”なんて名前を付けたりはしません(核爆)。ただ私は格ゲーではお姉ちゃんキャラしか使わないし、TCGは人気筋のカードは軒並み牛姉に化けてしまうので、世の情報をそのまま使えないケースがかなり多いのも事実ですが。 (^^;;;
「ゲームなんて物は勝ちゃあいいんだ!」という意見がまかり通るなら、私としては「ゲームなんて物は面白いから遊ぶに決まってるだろう。」という意見を貫き通したいです。ただ勝利至上主義もそうなのですが、この“面白い”という言葉にも時として「俺だけが・・・」という意味が含まれる事があります。確かに対戦では引き分けでない限り勝者と敗者が生まれます。でも前から書いているのですが、勝者と敗者双方が何かお土産を持って帰れる。要するに“双方が勝ったと言える対戦”は多分可能なのです。そしてそういう姿勢や取り組みが販売サイドやゲーマー側にあるのか否か。これがそのゲームの面白さを相当左右していると私は感じています。
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ここでは話をTCGに絞ってみたいのですが、TCGにおける“勝者/敗者”とは一体どういう人達の事を言うのでしょうか?。 TCGの世界にも、多分連戦連勝の強者が少なからずいらっしゃるだろうと思います。そういう方々が対戦の1勝を上げるために費やす費用って、多分私のそれよりも遥かに高額なのだろうと思います。これはあくまで個人的な感覚ですが、自らの勝率を5割から6割に上げるためには勝率が5割だった頃よりも必要なコスト(金銭+時間)が多分5割増位になるのではないでしょうか。そして6割を7割にするには6割の頃の2倍。7割を8割にするには更に7割の頃の倍かそれ以上。そんな気がします。ただこれの見方を変えると、要は野球選手と同じで「成績が上がるほど同じ仕事をするためのコストが桁違いに跳ね上がる。」という事です。 (^^; 私が対戦の1勝で¥500程度しか使っていないとしても、中には¥1000とか¥5000なんて費用を使っている人がいるかも知れない。まあ当然それだけの費用を使う以上は元を取ろうと頑張るのでしょうが。 これは私が前から書いている“遊びのコスト・パフォーマンス”という話につながります。私は最近TCGに費やす予算がめっきり減りましたが、でもTCGという遊びを面白いと感じて取り組んでいます。(ただし少し前から意志表示しているように「そろそろ限界か?」とは思っていますが。 (^^;;; )でも私よりも何倍もTCGに予算を費やしているプレイヤーが、実際には私よりもTCGを楽しめていないとしたら、これはもの凄く不幸な事だと思います。そしてそういう方は(表現が悪いですが)実はTCGの世界では負け組に属している。私はそういう見方をしています。決して私自身が勝ち組だなんて思っていませんが、でも少なくとも両者の比較による優劣の判断はできるでしょう。ゲームの勝敗という物は、実は目の前の対戦の勝敗だけで決まる物では多分ありません。Aというプレイヤーが予算¥1000で買ったカードを駆使し、予算を¥10000以上使ったBというプレイヤーと互角に戦った。もしそれで結果的にBが対戦に勝利したとしても、実はこの試合はAが勝ったと見る事もできます。でもそういう賞賛のされ方って日本には無くて、とにかく対戦に勝った/負けたという事象(フラグ)しか見ていないようですが。 確かに対戦で勝つのは気分がいいのです。でも例えばの話、あなたが目の前の対戦相手よりもTCGに何倍ものお金をつぎ込んでいるとしたら、ある意味“勝って当たり前”だという見方もできます。(昔の Magic はそうとも言い切れないゲームだったのですが、特に最近は単純にカード資産の多さがデュエリストの強さを決めちゃうようで。)「それだけの投資をしたんだ。それで勝った人に文句を言うのは筋違いだろう。」という理屈は分かります。でもあなたはそれだけの投資をして自分が勝つ事に必然性を持たせようとした。それって結果的に“その勝利をお金で買おうとした”事になってはいませんか?。私としては「それで本当に楽しいの?」という疑問は素直にぶつけてみたいです。言い換えると「あなたが目指したTCGプレイヤーとしての姿はそういう物だったの?」という感じかな。ちなみにこの事は“自分でデッキを考えなくなったTCGプレイヤー”にも言えるでしょう。そういう方は金ではなく自分の魂とか志みたいな物を無くしているはずですから。 繰り返しになりますが、対戦というのは「プレイヤーが相対して戦い、スポーツ・武芸・技芸などの腕前を比べ競うこと。」という意味になるそうです。間違ってもプレイヤーの財力や情報量の多さを競う場ではないのです(爆)。(ただし「腕前を上げるためには一定の資金や情報は必要だ。」という意見は私も認めます。)私が「自分が勝った事を素直に喜べる対戦をしたい。」というのはそういう事です。言い換えるとたとえ対戦で連勝できても、自分のTCGに対する取り組みにやましい部分があるプレイヤーって実は敗者なのではないでしょうか。そして勝った事を素直に喜べる対戦ができれば、自動的に“負けた事も素直に認めて喜べる”ようになるはずです。流石に私自身そういう境地にはまだまだ至っていませんが、でも最終的にはそこまで目指してみたいと思っています。せっかく多くの人達と対戦ができる趣味を選んだのですから、そこまで極めてみなきゃもったいないじゃないですか。別に私は「高いシングルカードは買うな!」と言っている訳でもなければ「デッキレシピの情報なんか見るな!」と言っている訳でもありません。ただあなたがTCGという物に“競技”として取り組んでいるのであれば、どうせなら自分が編み出したデッキで世のシングルカード相場を操ったり、自分のデッキレシピを多くの人達が真似するようなプレイヤーになって欲しいのです。そういう“高い目線”を持ったプレイヤーが大勢現れない限り、そのゲームの世界は“衰退”以外の末路を持ち得ないからです。 |