はれほれのプロフィール
卵
福井県福井市春山2丁目の平井産婦人科病院にて、1959年9月24日に誕生する。体重は並だったが、乳の飲みがよく、あっという間に離乳食に手を出す。 胃腸が丈夫な赤ん坊だったらしい。
幼年期T
保育園時代に、オカダンゴムシを集めまくる。そこらじゅうの石をひっくり返し、コガネムシの幼虫を集めまくる。
幼年期U
昆虫採集へと、進化する。一通りの昆虫類を採集する。2才年上の子が採集したネブトクワガタとヒラタクワガタに反発を感じ、チョウの採集に没頭する。
小学校後半から本格的に始めたチョウの採集は、徐々にマニアックなものへと進化し始める。この時、親に買ってもらった4mのグラスパイバー製長さおは、今でも現役である。
中学の頃から、県外の採集地へ足を伸ばし始める。ギフチョウ、ゼフィールス類の採卵・飼育に手を染める。一時期、30頭ものヒオドシチョウが、自室を乱舞する。
高校生になり、勉強や部活(テニス)で忙しくなるが、日々採集にいそしむ。春と秋の遠足や修学旅行にも採集道具は忘れない。 しかし、所詮、高校生の能力は限界がある。勉強の重圧に、ストレスを溜め込む。
成長期
めでたく大学生になる。
生物研究部に入部する。立派な諸先輩方に、昆虫採集の何たるかをみっちり叩き込まれる。毎週、毎週、週末は、お金と時間と体力に糸目をつけずに採集へと出撃する。 <静岡→富士→甲府→松本→いろいろPOINT>が国鉄とクルマを利用したメインルートとなる。R52とR20は、寝ててもクルマで走れるようになる。
沖縄や国外に手を出そうとするが、やっぱり本州・アルプスのチョウの魅力には勝てず、海を渡る採集は2度しかない。
母校に、教育実習に行き、生物教師の魅力にハマル。目指せ、高校生物教師!
首尾よく、生物高校教師を始める。年毎に仕事の量と質が増し、なかなか、昆虫採集へ行けなくなる。何だか不完全燃焼の日々が続く。
そんな時、結婚してしまう。これで、昆虫採集と縁を切る人は多い。
成熟期
仕事と家庭を両立すべく、ムシとの付き合いは、低調を極める。
そんなはれほれを救ってくれたのは、幼い息子である。はれほれのDNAを半分持っている息子(ユウキくん)は、大のムシ好きであり、オカダンゴムシを集めまくっていた。
ユウキくんとの昆虫採集が始まる。まだ、小学生なので、ライトラップが主である。これは、楽しい。成り行きとして、チョウの標本より甲虫類の標本が多くなる。 そんな折、幼年期Uで果たせなかった思いが蘇る。ネブトクワガタとヒラタクワガタの採集である。つまり、欲しい訳である。 早速、netで調べてみると、クワ馬鹿ページを発見する。 それからは、坂を転がる石のようにクワ馬鹿になってしまう。
ある日、クワ馬鹿で見つけたR河でのヒラタクワガタ幼虫採集報告を読み、近所のH河で同じように試みると、1発目の斧入れから、ヒラタの終令幼虫が飛び出す。 この経験が、はれほれを決定的にクワ馬鹿にする。
2000年9月、初めてヒメオオクワガタのヤナギ採集を体験し、青空ヤナギ病になる。
2000年11月、初めてマダラクワガタを採集し、そのサイズに唖然とする。
2000年12月3日に、HPを立ち上げて、さらに馬鹿さ加減に拍車がかかる。
2001年5月、初めて、コルリクワガタを新芽採集し、コルリ新芽病になる。
2001年6月16日、初めてのライトトラップに挑戦し、事件に巻き込まれる。
2001年8月、ヒメオオクワガタ♂55mmを採集し、ヒメオオ新規開拓に遁走する。
2001年9月、30年ぶりに福井県産ネブト(標本)と出会い、Project"A"を開始する。
2001年10月、Platycerusの魅力にドップリハマル。脳裏から<・>が離れない。
2001年11月、念願のミヤマツヤハダクワガタを材割にて採集する。
2001年12月、目出度くHP開設1周年を迎える。
2002年1月、Nikon COOLPIX5000をクワ専用デジカメとして購入する。ムシ専用にSETUPする。
2002年2月、憧れのルイスツノヒョウタンクワガタを南紀にて採集する。本当にツノがありタマゲル。
2002年3月、若狭のブナ林に通い、コルリを探す。
2002年4月、新しい職場に異動する。超忙しいのにクワ採集に行く。
2002年5月、ミヤマツヤハダクワガタ♂20mmを割り出す。ルイスツノに引き続きタマゲル。
2002年6月、マイ発電機(HONDA製)を購入し、ライトトラップに拍車がかかる。
2002年8月、家族旅行の沖縄でオキナワヒラタを割り出し、ヤンバルにはまる。
2002年9月、今年もバッチリ55mmヒメオオ♂を採集する。
2002年10月、仕事にはまり、毎日、紀伊半島産のネブト幼虫を見て暮らす。
2002年11月、モンモンとした日々が続く。
2002年12月、目出度くHP開設2周年を迎える。
2003年1月、兵庫県までチビクワガタを採集しに行き、その好戦的なスタイルにしびれる。
2003年2月、ダメ元で、四国の照葉樹林にアタックするがやっぱりダメ元となる。
2003年3月、再び、四国の照葉樹林にアタックし、マメクワガタをゲットする。来年も、四国へと誓いを立てる。
2003年4月、仕事にハマル。
2003年5月、コルリ新芽採集に、北アへ奔走する。
2003年6月、コルリ新芽採集に、新潟県奥地まで行ってしまう。殆どビョ〜キの世界。
2003年7月、例年にない長雨に悩まされながらもライトトラップへ、NMで大量の蛾を浴び地獄絵図となる。
2003年8月、執拗にライトトラップへ出撃する。オニ♂24mmゲットー、ヒメオオ♂も飛来し大満足。
2003年9月、地区運動会にて、右ふくらはぎを肉離れす。痛恨の極み。ヒメオオ青空採集が飛んでいく。
2003年10月、松葉杖の生活が続き、ルリ、コルリ、ツヤハダ、マダラ材が飛んでいく。
2003年11月、リハビリとお受験の暗い日々が続く、今年の夏が懐かしい。
2003年12月、漸く復帰を果たす。祝!HP開設3周年を迎える。
2004年1月、とても怖くて雪中材割りに行けない。体が資本だ。
2004年2月、120%仕事に埋没する。あ〜ぁ。
2004年3月、誓い通りに四国へリベンジするが失敗、鰹のタタキに感激する。
2004年4月、落石命中のパサート入院にもかかわらず、福井のマイナーポイントにてコルリを採集する。ウッシッシ。
2004年5月、行く先々で、コルリを外す。おまけに、谷川へ転落する。
2004年6月、再び、福井のマイナーポイントでコルリを採集する。ワッハッハ。しかし、灯火採集の惨敗が始まる。
2004年7月、福井豪雨。山は荒れていた。
2004年8月、惨敗の日々・・・。
2004年9月、仕事にハマル。
2004年10月、まだ、仕事にハマってる。
2004年11月、ツキノワグマの余りの多さに、ビビリ、出撃できず。クマは怖い!
2004年12月、いつの間にかHP開設4周年を迎える。月日は新幹線なみに速い。
2005年1月、小雪な冬だが身動きとれず。
2005年2月、クマ撃退スプレー(カプサイシン)を購入する。お互い不幸な出会いは避けたい。
2005年3月、パサートに代わり、XC70が新しいクワ車になる。お世話になります。
2005年4月、マダラを探すが見つからず、体力不足にて撤収する。
2005年5月、コルリを求めて奔走する。う〜ん、絶好調!
2005年6月、諸般の事情にてコルリ遠征できず、残念! まっ、来年があるさ。
2005年7月、灯火採集するが、雷雨との戦いに敗れる。
2005年8月、雷雨との戦いに連敗する。けど、台風の夜にも出撃する。
2005年9月、ヒメオオ採集のチャンスを逃す。
2005年10月、今年も仕事にハマル。いい加減、脱出したい。
2005年11月、良き家庭人となってしまった。
2005年12月、クリスマス前大寒波による大雪の為、全てが雪の下となる。日課の除雪は重労働だ。祝、HP開設5周年。
2006年1月、積雪87cmの福井を脱出し雪の無い愛知県へ出向く。タテジマカミキリを採集し、唖然となる。
2006年2月、お仕事に埋もれて身動きが取れなくなる。
2006年3月、季節はずれの大雪に埋もれて身動きが取れない。
2006年4月、娘とギフチョウ採集に行き、我が子の虫好きにビックリする。
2006年5月、林道歩きで色々な物を拾い、昆虫採集は足で稼ぐ事を思い知る。
2006年6月、未だに大雪の中にコルリポイントが埋もれていて、クワ車内で失神する。
2006年7月、漆黒の闇にて焚き始める。
2006年8月、頑張って焚いている。
2006年9月、クマの出没が始まる。
2006年10月、なぜか?NHKホールにいる。
2006年11月、青天の霹靂
2006年12月、霹靂の後始末に忙殺される。
今では、仕事中でもクワの事が頭から離れず、休みのたんびに、採集に行く。
完全体?
究極体?