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ショートコラム


「超時空要塞マクロス」はスゴかったのだ

アニメファンが年をとってオヤジやオバハンやジジイやババアになった時、例えその時点でアニメファンからドロップアウトしていても思い返す度に「あれは青春だったよねぇ」と熱いモノがこみ上げてくる作品というのは絶対あるもので……。

殆どの場合、そういった作品というのは何らかの社会現象を伴っている場合が多い。
具体名はメンドクサイのでイチイチ挙げない(笑)。

ところが、この「超時空要塞マクロス」だけは今なお好き者の間で名前は残っているものの「社会現象になっていない」希有な例であります。

結局、これは制作者の意図はともかく「オタクだけが喜んでいた」作品であったとも言えるでしょう。
例えば「作品中には登場しない膨大なウラ設定がオタク心を刺激したのだ」とゆーよーなコトは当時のゼネプロ店長(だっけ?)が言ってる通り。

ただ個人的に思うのはそういったウラ設定以上にオタク心を刺激したのは「メインスタッフの存在ではなかったか?」ということ。
ここでいうメインスタッフは制作の中心になったヒトタチ。
河森、板野、美樹本、平野の各氏。
いづれも当時は20代前半の若い人たちでした。
もちろん、若いとはいっても本作品がデビュー作だったワケではなく、それまでもイデオンとかで仕事をされてたんですがどちらかといえば無名のヒトタチ(ゴメンナサイ)。
そういったヒトタチが一気にオモテに出てきたわけですね。

それまでのアニメといえば、殆どの作品においてメインスタッフは学生タチからみれば一世代近く上のヒトタチでした。
つまりアエテ言うなら作品とは「オトナ」から与えられるモノでした。
トコロがマクロス。
これは初めて同世代から発信されたモノだったワケです。

これがナゼ当時のオタク(特に高校生〜大学生)を刺激したかというと、
「オレたちも第二の河森になれるかもしれない」
という幻想を与えたから。

考えてみれば、それまでのアニメは前述の通り仕切っているのは40代〜50代くらいのヒトタチ。
そんな状況で自分たちの世代は何をやっていたか?
動画描きやゲストキャラあるいはメカのデザイン。
要するにスタッフロールでは「その他大勢」に紛れるようなポジションでしかなかった。

それがマクロスではメインスタッフのさらに中核。
当時のオタクタチが憧れていながらも遠い存在(到達するのに何年かかるかわからないポジション)であった作監やキャラ(あるいはメカ)デザイナーはおろか、脚本・コンテ・演出から最終的には監督まで自分たちと同世代の人間がやっているワケですからこれは燃える。

さらにこのメインスタッフのウチ、河森・美樹本と細野不二彦が高校の同級生ということも、当時の高校在学中のオタクに親近感を持たせるのには十分だったのです。
どこのクラスにもそういうアニメオタクのラクガキ野郎(オレのことだ(-.-;;))の小グループってあったでしょ?

そしてマクロス直後、オリジナル系同人誌は「ぬえもどき」であふれかえり、当時開催されたSF大会「ダイコンW」は大盛況、大阪のSFショップ「ゼネラルプロダクツ」も黄金時代に突入することになるのでした(笑)。
そのゼネラルプロダクツの延長にガイナックスがあるのは、みなさんご承知の通り。


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