神社様式


本殿  摂末社  付属社殿  鳥居  狛犬  灯籠
本殿
本殿の意匠

 千木
(ちぎ)は、交差する二本の木を屋根上に置いたもので、神社本殿の象徴となっている。 その上端は、ほぼ垂直に殺ぐ(切る)のが通例であるが、極まれに水平に殺ぐ例もある。 伊勢神宮では、内宮が水平外宮が垂直である。 女神を水平、男神を垂直とする説、また、地祖の神は垂直、他から入ってきた神は水平、といった説もある。

 千木は、破風板が屋根を突き通して屋根上に出たものを起源とし、神明造諏訪大社上社宝殿などでは、そうした古式を伝える千木を持つ。後になって破風板とは別木にした千木を屋根上に置くようになった。
唐破風(大瀧神社)
 堅魚木(勝男木)は、大棟上に並べられた横木で、本来は棟を押さえるための部材であったらしい。 伊勢神宮内宮が十本、外宮が九本で、ほかの神社では二本から五本ぐらいの例が多い。 中世においては、千木や堅男木を持たない本殿の方が多く、江戸時代後期になって取り付けられた例も少なくない。

 千鳥破風
は、屋根正面に付けられた三角形ので窓のような形状の飾りで、室町時代から例が増える。 その起源は、複数棟の春日造本殿を横に連ねた本殿形式にあると言われ、春日造の身舎正面の破風が千鳥破風の祖形とされる。 住吉神社(下関)五つ、添御県坐神社(奈良市)では三つの千鳥破風が並んでいる。 桃山時代に特に好まれ、入母屋造本殿に多用されている。

 唐破風は、軒先が上に丸く曲線を描く物で、主として向拝に用いられる。 鎌倉時代に始まるが、桃山時代には千鳥破風とともに多用され、桃山建築の特色にもなっている。

日本「神道」総覧(歴史読本) 神社建築より

摂社・分社・別社・末社
 摂社というのは、何れかの本社に対する称呼であって、本社との祭神系統、又は特に重き関係を有するか、本社の地主神などを奉祀する社を云うので、本社の管摂にかかる社の意であるが、しかし本社の管摂にかからない社もある。 しかし多くの場合、摂社は本社の境内に鎮座する。

 分社は本社の分霊を祀る社を指すのであるから、分霊社ともいう。 しかし今は公の手続き、本社の承諾が無くては創立することはできない。 なお一神社としてのすべての資格を具備せねばならず、現今においては分社創立は極めて困難である。

 
別社も本社に対する称で、今は祭神と特別縁故地などの関係で、本社と同一祭神を奉祀する場合があるが、奈良・鎌倉時代を通じ、その以降においても氏族分布信仰及び仏教感化、神領地関係、そのほか種々の事情で分祀せられたのであって、別宮・新宮というのは多くこうした関係で創立されたものが多い。

 末社は、本社の管下に属する神社をいう。 今は通常多く本社境内の摂社以外の神社を指している。 しかし末社は本社祭神と関係のものまたは氏子崇敬者の信仰上創立したもの、または他から種々なる事情で、鎮座地を本社境内に移転した関係から起こるので複雑にして一様ではない。 現今では本社の管下にある本末関係のみの称呼である。

 古い時代には、上記のような祭神系統や、祭神と特別関係、本社の地主神、氏族分布の関係、信仰あるいは社領、宗教、職業的生活環境の関係、兵戦・天災・地変・瑞祥・功績・追慕などの複雑した関係は、多種多様の動機によって本社から勧請し、または新たに創立したものが多いが、これらの由緒は判然としないものが甚だ多い。

 摂社・別社・末社などの名称は、現在では官国弊社の支配にかかるものに対しての語となり、府県郷村社の支配にかかる摂末社などは、これを境内神社・境外神社と称している。 現在の制では、摂社・別社・分社・末社などや境内社・境外社は、神社として独立的活動はできず本社の管下にある。 しかし、古制の由緒上摂末社関係を語るのみで、経済上本社の管下を受けることなく単独に活動しているものも多い。
敦賀郡神社誌 より

付属社殿
 鳥居は、古代貴族・豪族が設けた門の遺風が進化したもので、その設ける精神には現在と変わりはない。 鳥居が使用されるようになったのは奈良朝時代からであって、神殿建築の変遷のごとく、様式の変化があって、種別が起こってくる。 しかし、原則として、本殿様式と一致した調和でなくてはならない。
 その種類の主なものについて紹介します。

黒木鳥居
 もっとも原始的で、二本の柱と一本の笠木
(かさぎ)と貫(れき)で組み立てたもので、用材は皮付きの丸太のままで、堀立柱である。 黒木の皮を剥いだものは皮剥鳥居ともいう。

神明鳥居
 黒木鳥居の進化した様式で、用材は加工して削り、笠木が円形なものを
総丸太鳥居といい、又、五角形は伊勢鳥居ともいう。 柱は元木のごとく上方ほど自然に細くなっている。

鹿島鳥居
 神明鳥居の一種で、貫が両柱をつらぬいて、鼻が突き出している。

以上は直線式堀立柱の素木出ある。 原始的な姿であって、大社造・神明造の本殿には意味あり調和した鳥居である。 また、平安朝時代様式で、寺院建築の影響が加わってきた鳥居には、

春日鳥居
 鹿島鳥居がいっそう複雑化した様式である。 島木
(笠木の下にある同じ横木)・額束(ぬかづか=島木と貫との間にある中央の束)の前に額を置く場合が多くある。 楔(くさび=貫の両端の内外より施したクサビ)を増加し総体朱塗りとするものもある。 京都平安神宮のコンクリート製の大鳥居はその様式の一例である。

八幡鳥居
 春日鳥居の笠木及び島木の鼻が斜め内方に切られている点が異なっている。

明神鳥居
 八幡鳥居の変化したもので、笠木・島木が反転し、鼻は垂直又は斜めに内方に切ったものである。 亀腹
(かめばら)と称して礎石の上に建てるに至った、これは流造等の曲線様式の本殿に適している。 この鳥居の一種に中山鳥居というのがある。 鳥居の礎石は、鎌倉時代頃から行われたという。

稲荷鳥居
 明神鳥居に台輪を増したもので、円盤が島木の下にあって、
台輪鳥居ともいう。合掌鳥居(日吉大社)

藁座鳥居
 明神鳥居の柱の下部を巻いた様式で、根巻鳥居ともいい亀腹はない。 この鳥居の笠木に雨覆いを設けたものがあり、板又は銅・瓦などで葺く、これを
雨覆鳥居という。

合掌鳥居
 原型は藁座鳥居で、笠木の上に棟束を合掌形に置いたもので、日吉鳥居・総合鳥居・山王鳥居ともいう。 用例は滋賀県
日吉神社のみで、神社の鳥居の全部ではなく正面のただ一基だけである。 右画像。

奴禰鳥居
 合掌鳥居の変形で、笠木の上に置かれた合掌形が島木と貫との間に置かれたものである。 用例は不明。

住吉鳥居
 原型は明神鳥居であるが、両社が四角形である。 大阪住吉神社の外に用例はない。
三輪鳥居(檜原神社)
三輪鳥居
 三光鳥居又は子持鳥居ともいう。 これは明神鳥居の左右に脇鳥居が付き、柱が四本並んで、入口が所謂三箇所で戸扉が付いている。 奈良県
檜原神社

柱鳥居
 柱が三本で笠木も三叉で極めて変形である。 京都府
木島神社(このしまにいます=木島坐天照御魂神社)

唐破風鳥居
 笠木が唐破風型で、桃山時代のものである。

両部鳥居
 神仏習合の思想から生まれた様式で、権現造りの本殿に最も相応しいものである。 原形は稲荷鳥居と明神鳥居で、両柱の前後に貌柱(袖柱)を設け本柱と貌柱との間に上下二段の貫を置き、雨覆鳥居の如く屋根を付けたもので
四脚鳥居袖鳥居権現鳥居枠刺鳥居と称している。 この様式には応用が多い。 福井県気比神宮

 この外にも種類はあるが、多くは前述の原形を応用したにすぎない。 一社に数基の鳥居があるときは、一の鳥居・二の鳥居などと称えている。 これは本殿を中心にするものと参詣する者より云うのとあって一定していないが、普通は参詣順路から云うようである。
敦賀郡神社誌 より

狛犬(獅子・狛犬)
 狛犬は、元来、清涼殿内の几帳の裾などに鎮子(おもし)として用いられた。 奈良時代には一対で獅子と呼び、須波阿須擬神社・木造漆塗り獅子一対を安置すると古記にあります。 この狛犬が神社に用いられるようになったのは平安朝末期頃で、この頃に獅子、狛犬といわれるようになり、邪気魑魅を避け、神域守護の意味で用いられるようになる。
 狛犬は獅子の像と相向かわして一対として神前に置くので、本来は
獅子狛犬と称すべきであるのを略して狛犬と呼ぶようになった。 

 王座を守る獅子像のルーツは、古代オリエントのウル王朝時代にすでに見られる。 獅子の姿を椅子や城門につけることにより守護される思想が生じ、エジプトのツタンカーメンの椅子やスフィンクスなどにその例を見ることができる。 これがインドに伝わり仏の座となる。 また、中国に入り皇帝を守る霊獣となり我が国の宮中儀式の調度となる。 さらに伎楽に入り今日の
獅子舞の祖となった。

 獅子は、百獣の王と称せらるる霊獣であるから威厳ある装飾とした。 また狛犬は高麗犬とも書くので朝鮮半島から伝来したとの説があるが、狛犬の「狛」は中国の中華思想により、中国周囲の異民族を禽獣に近いとしてケモノ扁をつけて呼んだもので朝鮮半島のみを指しているのではなく特定はできない。
 狛犬は獅子と異なる霊獣と考え、中国の思想上の動物である
一角獣の「じ」「かいち」などを当てたと見られる。

 狛犬の材料は木・金属・陶器などがある。 制作様式は台座のあるものとなきものとあり、形像は多く蹲踞している。 然して犬というよりも獅子形であり、頭上に角のあるものとなきものがあり、開口と閉口で一対が普通である。 向かって右の口を開けている阿形が獅子で、向かって左の頭上に一角を持ち口を閉じている吽形が狛犬である。 玉取獅子とて、宝玉を口又は前足に添えたものがあるが、これは後世の俗気から行われたのであって極めて野卑である、また麒麟形のものもある。

 狛犬の開口と閉口は牡牝を区別するのではなく、対称的調和を保つためであり、矢大臣における左大臣が開口であるのと同じであり、それが故実となったのではないかと思われる。 叉狛犬の代わりに神社によっては、その神社の神使と云われる動物の形像を置くに至ったところもあり、
天満神社の稲荷神社のなどがある。

灯籠
 灯籠には、置灯籠釣灯籠の二種類がある。
 置灯籠の一種に金灯籠すなわち金灯壺がある。 材料に置灯籠には木・石・金属・コンクリートなどがあり、釣灯籠は多くが金属または木製である。 灯籠の様式に関する種類は非常に多く、種類については社寺にちなんだ名称を冠するものが相当多い。 しかし時代と共に変化があり、実用から装飾へと進出した。 その起源は遠く火を使用した時代からの灯火具に付いて考えねばならない。
 石灯籠が建設されたのは白鳳・奈良・平安時代であって当時既に存在した。 二基を一対としたのは後世のことで、現存しているものでは室町以前には遡らないであろう。

 釣灯籠も置灯籠が起こってから工夫されたもので、平安時代にはすでに用いられていた。 神社で用いられるようになったのは何時代になるか判然としないが、現存するものから推察すると室町時代から盛行したようである。 この時代になると一般住宅には余り使用されず、多く社寺に寄進用としていたものが多い。
 材料は最初は木造であったが金属製へと移行し、多くは鉄製・銅製・青銅製などであり、渡金したものもある。 様式は方形円形があり、方形には四角・六角・八角・菱形などがあり、円形には楕円形などがあってその種類は非常に多い。
敦賀郡神社誌 より
*** 次回につづく ***

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本殿の構造

 神社本殿は、建築構造から身舎
おもや 母屋)と(ひさし)に区分される。 身舎は、建物の本体で、前後(または左右)に柱を立てて梁を渡し、その上方には屋根の頂部である大棟が位置する。 庇は、身舎の外側に付け足されたもので、屋根は身舎から葺き下ろす。

 一般的に古い形式の本殿は身舎だけからなる建物であって、奈良時代には正面に庇をつけ、平安時代には側面や背面にも庇をつける大型の本殿になっている。 また、階段の上部だけに屋根をのばして雨よけとした庇は、向拝と呼ばれ、主に入母屋造りの本殿に用いられる。 使われる柱の形状は決まりがあり、一般的に
身舎は円柱を用い向拝や流造と春日造の庇には角柱が用いられる。円柱は正式の柱、角柱は略式の柱と規定されているためで、本殿の代わりとする仮殿、小規模な摂末社では身舎も角柱とすることが多い。

 内部構造は、ご神体を奉安する奥の部屋を内陣、その手前の部屋を外陣という。 一般的には、身舎が内陣、庇が外陣となる。 鎌倉時代以降の本殿では、内陣の中を更に間仕切って内々陣を設けている例も多い。

 内部を四部屋に間仕切った場合では、手前から外陣・中陣・内陣。 内々陣と呼ぶことになる。 しかし、神社によって呼び方は一定ではなく、内陣を外陣として内々陣を内陣と呼ぶ例も少なくない。
 神社本殿は一般人の参入を考慮していないため参拝者の目に見える外観だけを立派に作り、人目に触れることのない内陣を簡素に作ることが一般的である。


本殿の規模

本殿の大きさは、正面から見たときの柱間の数で表される。 例えば、正面に柱が四本立っていて柱と柱の間が三つであれば、三間社と呼ぶ。 その場合の「間」は、柱間が一尺であろうと十尺であろうとすべて一間と数える。 実例では、一間社が圧倒的に多く全体の九割以上を占め、残りはほとんど三間社である。 偶数の間数は社寺ともに嫌われるので、二間社や四間社の例は、希にしかない。 又、五間社以上の大型本殿の例も少ない。 長大な例では、石清水八幡宮(京都府)、窪八幡神社(山梨県)の十一間社がある。
 拝殿は、本殿の正面に建てられ、祭員の着座や礼拝に用いられる。 平安時代になってから現れた社殿であって、古くは本殿前方の庭上が使われた。 中世になっても地方の神社は一般に拝殿を持たず、本殿の庇を外陣として拝殿の代用とした例も少なくない。 多くの拝殿は横長の平面を持ち、新しいものでは土間床として土足のまま参入できるが、もとは板敷や畳敷が一般的であった。 他に正方形で四方を吹き放ちとした拝殿(舞殿や神楽殿)が近畿地方に多く、横長平面で中央を通路とした割拝殿も少数ながら存する。

 弊殿は、本殿と拝殿の間に設けるのが一般的で、今日では拝殿の後方を突出させて弊殿とする例が多い。 本来は幣帛を奉る社殿であるが、祝詞の奏上に使われる。 別に祝詞殿を備えた神社もある。 一般の神社が弊殿を備えるようになったのは、明治以降である。

 神楽殿は、神楽を奏す建物である。 舞楽を奏す舞殿と混同することが少なくなく、拝殿と兼用する神社も多い。

 神饌所は、御供所ともいい、神前に奉る供物を調える建物である。 小型の簡素な建物であって、本殿や拝殿の脇に設けられることが多い。 多くの神饌所は明治以降に設けられたものである。

 手水舎は、水盤舎水屋ともいい、手水鉢(石水盤)を置き、参拝に際して手水を使う場となる。 柱四本で建てることが多いが、二本柱や六本柱の例もある。 神社では、桃山時代から建てられるようになり、古例は各地の東照宮のものである。

 神庫は、宝蔵ともいい、神宝や神社の貴重品などを納めた倉である。 太い木材を横に積み重ねて壁体とした校倉造(あぜくらづくり)が正式である。 また神輿を納める神輿舎(しんよしゃ)を設ける神社が多い。

 そのほか今日の神社では、神社の事務や神職の控え室となる社務所、氏子の集会などに用いられる参集殿などが設けられる。

 なお、明治維新までの神仏習合の時代では、有力な神社には、祭神の本地仏を奏安する仏堂(本地堂)、護摩法要を行う護摩堂、教典を納めた経蔵、梵鐘を釣った鐘楼・五重塔や多宝塔などの塔婆といった仏教建築が立ち並んでいたが、維新の神仏分離令によって破却され、現存する例は少ない。
日本「神道」総覧(歴史読本) 神社建築より

鳥居